
源平の庭●今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一 ⇒続き閉じる
情報提供元:大本山 須磨寺
アクセス
山陽、阪神、阪急電車 「須磨寺駅」下車 北へ5分
住所・電話
〒654-0071 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
電話:078-731-0416
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須磨寺は源平一ノ谷合戦地に近い古寺であり、四季の花々やオモロイものもたくさんございます。

今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。 寿永3年(1184AD)一ノ谷合戦の際、源氏の荒武者熊谷直実は、海上に馬を乗り入れ沖へ逃がれようとする無官大夫平敦盛を呼び返して、須磨の浜辺に組み討ちその首をはねました。 平家物語が伝える最も美しく最も哀しい有名な史話です。 敦盛は時に年16笛の名手であったその遺愛の青葉ノ笛は今も当寺に伝えられています。

現在の本堂は慶長7年(1602)豊臣秀頼が再建したもので、建築奉行は片桐且元でした。但し内陣の宮殿は応安元年(1368)の建造になるもので、重要文化財です。本尊聖観世音菩薩、脇侍毘沙門天、不動明王が祀られています。昭和47年、文化庁の指導で全面解体修理が行われ、六百年前の姿に復元されました。

本堂と共に須磨寺一山の中心で真言宗須磨寺派の宗務所ともなっており、書院は阿弥陀如来を本尊とする持仏堂でもあります。本坊は一絃須磨琴の保存会本部、稽古場にもなっており、その他、各種法要などが営まれています。庭前には、滝の流れる庭、芭蕉句碑、真鍋豊平の歌碑などがあります。

弘法大師千百五十年御遠忌、当山開創千百年、平敦盛卿八百年遠忌を記念して昭和59年に再建されました。(旧塔は四百年前の文禄大地震の際に倒壊。)平成26年10月26日、修復落慶し、鮮やかな色彩が復活しました。

この首塚(五輪塔)は、寿永3年(1184)年2月7日に起きた一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたものです。因みに、須磨浦公園にある『敦盛塚』には胴体が祀られています。
