築城当時、諏訪湖の水が城際まで迫り壕の役割を果たしたことから..
築城当時、諏訪湖の水が城際まで迫り壕の役割を果たしたことから難攻不落を誇り、別名を「諏訪の浮城」と呼ばれていました。現在の天守閣は昭和45年に復興されたものです。

高島公園内(城内)●【庭園】現在庭園になっている場所には本丸御殿の建物が立ち並んでいました。その一角にあった能舞台 ⇒続き閉じる
情報提供元:諏訪 高島城
アクセス
中央自動車道諏訪インターから約15分
住所・電話
〒392-0022 長野県諏訪市高島1丁目20番1号
電話:0266-53-1173
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築城当時、諏訪湖の水が城際まで迫り壕の役割を果たしたことから難攻不落を誇り、別名を「諏訪の浮城」と呼ばれていました。現在の天守閣は昭和45年に復興されたものです。

【庭園】現在庭園になっている場所には本丸御殿の建物が立ち並んでいました。その一角にあった能舞台は現在市内の温泉寺の本堂として移築されています。

1階には、諏訪の伝統行事や郷土に関する企画展示コーナーをまた、諏訪を訪れる旅行者の方々へ観光情報をご提供しています。

明治維新を迎え、旧支配体制の象徴である高島城は破却されることになりました。明治3年頃から城内の建物が順次払い下げられ、天守も明治8年に取り壊されました。破却後、本丸跡が「高島公園」として開放されましたが、それ以外は市街地化していきました。昭和45年、市民の熱意によって天守が外観復元され、門や櫓などもあわせて復興されました。
